面接官「あなたを我社で雇用するとして
    我社にどんなメリットがありますか」
俺  「あなたが入社した時、その問い答えられましたか?
    そしてその通りになりましたか?
    つまりそんな質問に意味は無いんです。もっと建設的かつ
    具体的な質問をしてきてください」
面接官「ぐぬぬ」
 もう一つ、今回の対談で大きなテーマとなっていたのは「ネットにおける匿名性」の是非という問題です。勝間さんは以前から「アメリカでは実名が中心の ネット利用が、日本は匿名中心になっている」ことへの異議を訴えておられました。これに対して、ひろゆきさんは、実名といっても「なりすまし」かもしれな いし、イザ犯罪容疑となった際にはIPアドレスなどから追跡するコストは変わらないから、という実に突き放した理由で「実名主義」をやんわりと批判してい ました。

 このやり取りも、勝間さんが明確な価値観からある方向性での実行を主張したのに対して、ひろゆきさんは前提への懐疑を繰返し て、平行線になっていました。ただ、この「ネットでの匿名性」の問題ですが、私は以前から気になっていたのです。確かにアメリカでは、程度問題ではあるの ですが、ブログでもSNSでも実名の使われる割合が日本よりも圧倒的に高いのですが、そのアメリカから見ていると日本の匿名ばかりで、結果的に荒れること の多いネット利用はムダが多いように思われたのも事実だからです。

 この問題への私なりの仮説については、他でもない、この勝間=ひろゆ き対談そのものの中にヒントを見つけることができました。というのは、ここまでお話してきたように、対談の中でひろゆき氏は「常に前提を疑う」アプローチ で、よりロジカルな、より精神的な自由度の高い議論を志向していました。その結果として「前提を確定し、その上で問題解決の具体策も早く決めたい」勝間氏 とは「すれ違い」続けていたのですが、最終的に勝間さんはひろゆきさんのアプローチに対して「自分が絶対正しいという感じで上から言われている感じ」とい う感想を漏らしていたのです。

 この「上から言われている感じ」というのが、たぶん重要なのだと思います。これは、勝間さんがどうとか、 ひろゆきさんがどうという話ではなく、日本語の特質だと思うからです。日本語というのは、人間関係の調和が前提となってできている言語です。まず関係性を 規定して上下の敬語や遠近の丁寧表現を使ってコミュニケーションのフレームを作り、更に前提となる共有情報は主語でさえどんどん省略して会話全体を小さな 謎掛けと謎解きで構成することで、ネバネバした親近感へ巻き込んで行くのです。更に、意見の相違や利害の相反が出てくると、婉曲表現や敬意の表現などを駆 使して関係性を傷つけないようダイナミックなバランスを取ろうとする談話形式も定着しています。

 こうした日本語会話の特質には、相手へ の明確な反論や、前提への懐疑というのはなかなか馴染みません。それをポンポンとやってしまうと、本人が思う以上の暴力的な権力行使として相手には受け取 られてしまうのです。勝間さんという人は、デフォルトの設定としては男性支配や年功序列へのチャレンジャーとして活躍しておられ、その分あらゆる人との対 等な関係というのは意識している方だと思いますが、その勝間さんにしても、ひろゆきさんの冷徹なロジックを「上から言われている」という上下関係の規定と して感じてしまったのでしょう。非常によくある現象なのですが、これは深刻な問題です。
tiga:

poochin:

Twitter / @athcks90nc: スパムから返事がきた http://t.co/lP0 …



そこで買っちゃったらプロの仕事じゃないだろ

tiga:

poochin:

Twitter / @athcks90nc: スパムから返事がきた http://t.co/lP0

そこで買っちゃったらプロの仕事じゃないだろ

(yaruoから)

4週間前
341リアクション
行ったのはシンプル。「新規登録」ボタンを「次へ」ボタンに変えたこと。「次へ」ボタンの下には「購入にあたって登録の必要はありません。ただ、次回からの購入を楽にしたいならチェックアウトの途中で登録することもできます」とメモを添えた。 結果、購入する顧客の数が45%アップ。初月で15億円の売り上げ増。年間で300億の売り上げ増。 たった一つのボタンを変えるだけでこんなにも成果が違うものですねぇ。
日本には努力しても、%計算や分数計算、割り算や掛け算ができない軽度の知的障害者が100万人を超える規模で存在し、その本人も軽度の障害を気づいていない。自分はただ頭が悪いだけだと本人も思っているし、周囲からもそう言われる。そして保護されるべき障害者が不当な扱いを社会から受け続ける。

Twitter / 中嶋 隆 (via rpm99)

ずっと前にとあるお店でアルバイトをしている時に、軽度の知的障害者の人が何故かアルバイトの面接に合格してしまい、一緒に働くことになったことがあった。思い出すのも辛いのであまり書きたくはないのだけど、結論から言えばその人はそこの仕事をするだけの能力は無かった。でもそれはその人が「努力不足だから」だとか「頑張っていないから」なのではなく、そもそもできるものでは無かったからに過ぎない。ただ、本人から話を聞く限りでは、同居している親はその人を知的障害者だとは認識しておらず、だからこそ不幸なスパイラルが続いているのだと私は判断した。保護されるべき障害者が不当な扱いを社会から受けるのは、その親が子供を障害者として認知しないからだ、という側面があることも事実、なのだけど、なぜ認知しないのか、を考えるとその深みに絶望しそうになる。

周囲のアルバイト仲間はその人が軽度の知的障害者であることを認識できなかった。できなかったからその人を「馬鹿」であると決めつけた。それはあまりにも不幸なので、管理職クラスの人に状況を説明し、何故その人が仕事ができないかを解説し、仕事ができないのはその人が怠けているからでも悪意があるからでもないことを説明し、その上で、その会社がそういう人を雇えるだけの能力を持たないのであれば、残念だけど解雇するしか方法はないとアドバイスした。もしその時の自分に裁量権限があるなら、その人にできる仕事を作って雇い続ける道を探したのだと思う。

数年後、近所の駅近くを歩いていたとき、後ろから自分の名前を呼ばれて振り返った。最初は誰だか分からなかったのだけど、「○○ですよ。覚えてますか?」と言われて、ああ、あのときの人か、と思い出した。そして、自分の顔と名前を覚えてくれていたことに嬉しさを覚えた。どうやって暮らしているかを聞く勇気が無かったので込み入った話はしなかったけれど、元気そうな顔をしてたので少し安心した。

(via pdl2h)

(yaruoから)

4週間前
953リアクション